ストーミー時代———
俺のいとこにプロスケーターがいて、その昔彼がストーミーのライダーだったんだ。
そんな縁もあって店にはたまに行ってたんだけど、ある日スノーボードが何本か置いてあって“なんだこれ”って思って衝動買いしたのが最初。85年頃だったかな。当時は山の情報がなにもなくて、群馬や新潟のいろんなスキー場を探検しながら滑りまくってた。そうしている間にストーミーのライダーになったんだ。最初のスポンサーもストーミー経由で、アバランチという板だった。 まだアルペンが主流で、フリースタイルをやっている連中が少なくて、山で同じようなヤツらを見かけたらどんどん友達になっていったよ。“なんだアイツ”じゃなくて“おっ、ここにもいたか”って感じで、特にバブルスたち新潟のメローズ軍団や京都の村上 国史、佐藤 圭吾といった連中とはスケートスタイルと言うか“単色のスキーパンツにネルシャツ”みたいな格好だし、なんか同じ匂いを感じて。彼らとはいまだに仲よくやってるよ。
フリーライド———
ストーミーのライダーとして一線でやっていたのは26歳ころまで。それまではハーフパイプの大会も廻ってたし、プロや上手いやつらと一緒にメディアを意識してガツガツと滑っていたんだけど、スノーボードのもっと奥深いところを知りたくなって、そういったスタイルには興味がなくなってきたんだ。上手い下手じゃなく、本当にスノーボードが好きで心底楽しんで滑ってる人達と出会って、自分のために滑るっていうスタンスに変わったのかな。競技以外のスノーボードは全部がフリーライディングだし、そのフリーライディングの幅をもっと広くしたいと思い始めた。その頃のフリースタイルのレベルは凄い勢いで伸びていて、“何でオレがフェイキーで滑らなきゃいけないんだよ”みたいに若い子達についていけなくなったのも事実だけどね(笑)。
ニセコへ———
10年くらい前に太朗(玉井)くんに呼ばれて遊びに行ったのが最初で、それ以来ずっと通ってる。行けば誰かが泊めてくれるし、飲みに行けば誰か飲んでいるし、楽なんだよね(笑)。ニセコは日本の他の山とは比べものにならない程スノーボード文明が進んでいる場所で、そこにいる人達はライディングレベルだけじゃなく、山に対する意識とかスノーボードの総合的なレベルが断然高いんだ。プロスノーボーダーだって下手したらそこらへんの無名の兄ちゃんに余裕でぶち抜かれる場所だよ。俺にとってニセコはいろんな意味で大きいし、飽きないし、人、山、雪と全てが魅力的な一番好きな場所なんだ。
アラスカ———
これまで18年間、いろんな山で滑ってきたけど、バルディーズの圧倒的なスケールには本当にシビれた。毎日がNHKスペシャルだったよ(笑)。岩だらけのバカでかい超急斜面がヘリから見渡す限りの視界にニョキニョキ生えまくっていて、考えられない斜面にトラックが付いてたりする。自分が滑るラインはヘリから確認して頭に叩き込むしかない。ピークに立つと下がどうなってるのか分からないからね。“ここでコケたらあの岩で死ぬな”って感じで、結構コワイ思いもしたけど、あんな加速感を味わったのは初めてだったし、なによりあのワイルドな土地に限りない自由を感じて本当に感動した旅だった。あれ以来どこで滑っていても、次にバルディーズで滑る日のことを考えてラインをイメージをするようになったよ。
グリーンクロージング———
カナダにザ・スノーボードショップというブランドがあって、92年頃にその代理店を始めたんだけど、いつのまにか日本向けの商品ばかり作ってもらうようになってたんだ。それだったら自分で作った方がいいかなと思って、9年前にグリーンクロージングを始めた。いい人材に恵まれたおかげでここまでやってこれたと思ってる。グリーンのライダーは最高に気に入っているよ。鈴木 光、マサ田畑、西山 勇、デカチョウ、ほかにも10人くらいいて、みんな自然に集まってきてくれたんだ。それぞれバンドをやっていたり、家具を作っていたりと彼らの作品やクリエイティブ心には本当に共感できるし、ライダーたちも俺に共感してくれてると思う。ライダーとスポンサーの関係を越えた、グリーンクロージングを囲んでのコミューンみたいになったらいいなと願っているよ。他ブランドとの違い? 俺がどの社長より全然スノーボードが上手いことかな(笑)。俺のスノーボードに対する好き者度だけは絶対の自信があるよ。
生活と滑り———
ライフスタイルという言葉を初めて理解したのは生活がかかってからだね。ガムシャラに滑ってた時期を終えて振り返ってみると、それは単に“ライフ”であって“ライフスタイル”ではないって気づいたんだ。例えば就職とか結婚とか人それぞれタイミングは異なるけど、生活しなくちゃいけない状況に自分が置かれた時に初めて生活とスノーボーディングという二つの間を行き交う自分が見えて、ライフスタイルってものを意識するようになったんだ。
次の段階へ———
俺たちは自然の野原の中で遊んでいるわけだけど、それがどれだけ危ないことなのかを改めて意識するようになってきた。どんなに注意しても斜面に立っている時間が長いほど、雪崩をはじめとするいろんなトラブルに巻き込まれる確率が高くなるのは当たり前なんだよ。今まで何事もなかったのは単なるラッキーに過ぎないってことだよね。最近は“Ride for tomorrow” 明日も楽しく滑るために今日はなにをすればいいのか?って事を考えはじめてる。なにしろ喰らったら一巻の終わりだからね。スノーボードは60、70歳になっても楽しめる遊びだし、その年に最初にたどり着くのが俺たちの世代なんだよ。ちょっと大げさな言い方だけど、皆が末永くこの遊びと付き合っていけるための見本になれるように、楽しさや恐ろしさ、取り組み方を身をもって伝えられるスノーボーダーの一人になりたいと思っているんだ。
田口 勝朗
1966年3月16日(36歳/当時)
(雑誌トランスワールド掲載/2003年)